こちらは豊橋市の中心地、豊橋公園の鉄櫓。豊川越しにみる鉄櫓は
豊橋市のシンボル的風景。豊橋公園は旧・吉田城跡なのです。
櫓の前には豊川が流れ、城の後ろを守っています。なので、後ろ堅固な城と呼ばれることもあります。
「背水の陣」的な立地とも言えますが、水運を有効に使えますので物資輸送にはよかったでしょう。
城の縄張り(設計)は池田輝政。そう姫路城を建設した大名です。輝政が姫路に移ったのは関ヶ原の戦い後で、それまでは吉田城主だったのです。
吉田城は東海道吉田宿にあり、東三河を代表する重要な拠点。江戸時代は水運でとっても栄えた町でした。
堂々たる規模の城の縄張りは、「さすがは池田輝政」というものですが、実は、江戸期を通してずっと未完成のお城でもありました。
公園内の三の丸会館という立礼のお茶席でお茶をいただくことができます。
一服380円。お茶菓子もついてます ♪
それほど作法にうるさそうではなかったのですが、念のため
「えーと、一応、基本的な作法くらいは承知してますよ〜」的な顔して
いただきました(w
場内は花見の席で賑やかでした。風がもう少し弱かったらよかったのでしょうが、
それだと混み過ぎて、場内の駐車場に車を停められなかったかも。
その後、場内を後にし、豊橋駅に近い「うどん そば処 勢川本店」さんへ。
こちらのお店は事前に調べておきました。
豊橋といえば、カレーうどんなのです。理由は知りません ^^;
豊橋カレーうどんにはいくつか決まりごとがあるのですが、うずらの卵を使い、
丼の底にトロロのかかったご飯が入っています。これがけっこう美味しい!
勢川さんに行くために車を停めた駐車場脇のお店が気になっていました。
近所の人たちでしょうか、何人か入っていきましたし、車で来て、お持ち帰りする人も何人か見ました。
「地元では有名なお店なのかも・・・」と思いつつも、カレーうどん、食べたばっかりだしなぁ。どうしよう・・・。
しかし、そこに例の焦げたソースの美味そうな香りが。
これはもう入らざるを得ないですね。ご覧の通り、相当に古そうなお店です。店内も年季の入ったいい感じです。
ちょうどたこ焼きを焼いてらしたので、たこ焼きを一皿注文。
許可を得て写真も撮らせていただきました。
お好み焼きはソースなのですが、たこ焼きはあっさり醤油味です。
『この方が、タコや具の風味が分かるでしょう?』との事。
熱いから気をつけてと何度も教えてくれます。美味しかった。
こちらでもう30年も商売をしているそうです。町の古いお話や、
“吉田通れば二階から招くしかも鹿の子の振り袖が”
“吉田宿皆あをむいて通るなり”(諧風柳多留)
にまつわるお話などを教えていただきました。ありがとうございました。
豊橋の街には路面電車が走っています。これがいい感じでしたねぇ。
次に訪れた時には乗ってみたいなぁ。
最後の写真は、豊川越しの吉田城の鉄(くろがね)櫓です。
建物は昭和29年に模擬再建されたものです。
ここのすぐ右手下流に吉田大橋がかかっています。
この橋が国道1号線、つまり、旧・東海道なのです。
江戸時代の浮世絵、『東海道名所風景 吉田』に描かれているのが、
豊橋大橋とお城の風景。今も昔も、豊橋を代表する風景なのでした。
岡崎市といえば、「八丁味噌」ですよね。そんな訳で、お昼は「味噌煮込みうどん」を必ず押さえねばなりません^^
こちらのお店は、大正庵釜春本店(たいしょうあん かまはる ほんてん)さん。
きっと、先ず間違いなく、岡崎市で一番有名なうどん屋さんだと思います。
というのも、ここ、大正庵釜春本店さんは、「釜揚げうどん」発祥の店。元祖なのです!
もちろん、「味噌煮込みうどん」だって有名なのですよ^^
ところで皆さん、釜揚げうどんって食べたことあります? 実は私、釜揚げうどんを食べるのって初めてだったのです。
なので、注文したうどんを待つ間、周囲のテーブルを観察。「釜に入ったうどん。どうやって食べるんだろう??」って思ったのです。
観察した結果、ツユを入れたお椀を釜の脇に持っていって、釜の縁伝いに適量のうどんをお椀に移す。
ただ、うどんはすごーく長いので、お椀に入りきらない分のうどんが、釜のお湯の中につづいている。
そこで、釜の縁に掛かっているうどんを、お箸で器用に切る。すると、切られたうどんは、自分の重みでお湯の中にツルンと戻る。
「ふむふむ、なるほどね。」と思い、早速真似てみるが、なかなかスムーズにいかない。慣れるまでちょっともたついてしまった^^;
お味はとっても良かったです。次にまた岡崎に来たら、必ずここに寄ります。ツユの出汁がすごくよかったなぁ〜。うどんもね、讃岐系とは違う、ほどのよいコシとでも言えばいいのかな。私はこのくらいのコシの方が好き。
それにね、上の写真を見てもらいたいのですが、ツユの入った徳利が二つもついているでしょ。多分、うどんを大盛り(210円増し)にしたから、2本付けてくれているのでしょうけど、こういう潔さっていいなぁ。そうそう、刻みネギも別容器でドーンと付けてくれます。もう本当に気に入りました!
食後、岡崎城のお土産物やさんで、「八丁味噌の蔵を見学できるんですよ」と教えていただいたので、我ながらどうかとは思ったのですが、株式会社まるや八丁味噌さんをいきなり訪ねました。アポイントなしです。失礼ですよね。すみません・・・
来意を告げると、本当に偶然いらした浅井信太郎社長とお会いし、お話をお聞きすることができました。
「いつも忙しく飛び回っていて、会社にいるのは珍しいんですよ」。と社員さんがそっと教えてくれたほどですから、望外と言っていい幸運でしょう。
自分でいうのもなんですが、私には不思議とこういう運の良さがあるんです^^
実際、浅井社長は数日後にはニューヨークに出発して、そのままヨーロッパを回ってくるとの事でした。
お話していると、商売に対する独自の信念、いや、覚悟って言った方いいかもしれません。そして、670年以上続く企業の社長としての哲学が伝わってきます。
向かい合ってお話を伺っていると、ぐいぐいと圧するようなパワーではなく、粘り強い三河武士の性根が、ひたひたと迫ってくるような印象を受けました。
実際、670年以上も同じ場所で、一度も引っ越すことなく商売を続けている。これはすごい事です。味噌造りだけに限っても、400年近く経っている。
この味噌桶の上に積み上げる石にしても、職人として一人前になるまでには二、三十年かかるそうです。
そして、桶の中の味噌が製品として出荷されるまでには、二度の夏と、二度の冬を越さなければなりません。
八丁味噌造りは、世の動きにせわしなく左右されるような考え方では、とても続けられない商売です。性根を据えて、世の動きを短期ではなく長期で見つめる。歴史は繰り返すという教訓を決して忘れない・・・そう考え、商売をしなければなりません。
目まぐるしく盛衰が入れ替わる今の時代、これは物凄く勇気のいる経営の仕方だと思いました。
まだまだよいお話をうかがいましたので、また機会があれば書いてみたいと思います。
今回はここまでで。
時間は17時前、通りすがりに見かけて、あんまり素敵だったので寄ってみました。
時間がなかったので、今回は飲食なしです。残念…
広い敷地の中に、何種かの施設が点在しているのですが、右は「ハンモックカフェ」。名前のまんま、ハンモックで寛げるカフェです。
いい感じですね〜
こちらはバーベキューを楽しめるレストラン、「フジヤマガーデン」。
ハンモックもいいですが、こちらでビールを飲みながら…なんて、いいだろうな〜。
ガーデンの奥に建物が見えます。案内板によると、ゲストハウスって名前ですね。
カフェ、レストラン、オーガニック系の製品が買えるショップなどが入っています。
こちらがレストランスペース、「フジヤマキッチン」。
ウッディで天井が高くて、開放部が広くって、いかにもリゾート地のレストランって感じ。こういう施設は静岡にはないなぁ〜
こちらにはテラス席もあって、おしゃべりを楽しんでいるグループや、ペットを連れて静かに読書をしているご婦人もいました。
そう、この施設はペットOKなのです。(ペット可・不可の施設、スペースが指定されているようです)
読書をしているご婦人のペット、ゴールデンレトリバーでしたけど、すごい賢い! 椅子の横に寝そべって、ずーっとおとなしくしてる。よほどしつけがしっかりしてるんだろうなぁ。
こちらはコテージのエリア。
コテージが15棟も建っており、こちらもペット可のコテージがあるみたいです。
次に機会があれば、ぜひこちらでのんびり食事をしてみたいです。
→ ホームページ
ちょっと過ぎちゃった感はありますが、昨年の暮れに島田市をブラブラしました。
島田市といえば、大井神社。ですよね。思っていたより小さな社殿。
境内は初詣の準備で忙しそうでした。
大井天満宮の神牛です。大井天満宮は学問と農耕の神様だそうです。
願いを込めて神牛をなぜると、願いがかなうそうです。頭部と腰部がテカテカですので、「成績が上がりますように!」「腰痛が治りますように!」って願う人が多いってことですね。私もですけど ^^
神社のそばで、いかにも老舗って感じのお寿司屋さんを発見。
ネットで調べたら「魚角」さんという明治創業のお寿司屋さんらしい。
ちょっと高そうだから、気軽につまんで一杯って訳にはいかないかな。
島田に来て、大村屋さんを忘れるわけにはいきません。
大村屋酒造さんは、島田市唯一の酒蔵。純米大吟醸「おんな泣かせ」は全国的に有名です。
大村屋さん前の通りを島田駅方面に入ると、蔵を改装した居酒屋(?)を発見。「和蔵」さんて看板がでてますね。
いい雰囲気じゃないですか。へ〜、一度来てみたいなぁ。
場所的に考えても、大村屋さんの酒が揃っているでしょうし、内装とか気になるなぁ。
さらに島田駅に向って歩いていると、またまた雰囲気良さげなお店発見。「酒は地酒 そば手打 さしみ※※(不明)」って書いてある。お蕎麦屋さんかな??
ネットで調べたら、「酒旬 まとい」さんてお店。ベテランの寿司職人さんのお店らしいです。お蕎麦や居酒屋メニューもあるとか。
うーん、このお店、雰囲気ありますね。いい感じにくたびれてるなぁ〜
駅前を抜けて、旧商店街の方に来ると、通りの雰囲気がガラリと変わります。
私の記憶にある島田市の風景って、こっちなんですよね。再開発すると、キレイにはなるけど、どうしても風情や街独特の雰囲気は失われてしまう。
どうですか、このお店の正体不明っぷりは!何屋なのかサッパリ分からない(w 面白い!
味噌饅頭で有名な龍月堂さん。
島田市といえば、清水屋さんの酒饅頭が有名ですが、こちらの味噌饅頭もお薦めです。
私、こちら方面に用事で来たときは、龍月堂さんの味噌まんじゅうをよく買います。
そうこうしている内に夕方。あっという間に暗くなります。
もう一度、大井神社に寄って見ると、提灯や社殿に灯りが入って、昼間とは違った風情です。
左の写真は恵比寿さま。大井恵比寿神社の社殿です。
池の脇から静霊神社、春日神社へとつづく提灯の列。
初詣の時期は賑やかだったんだろうな〜
島田市街地をゆっくり歩いたのは初めてですが、やはり街ごとに魅力的な風景や、良さそうなお店があります。
実際に歩かないと、なかなか分からないんですよね。
出張の二日目。奥三河、伊那街道沿いの関谷醸造さんにお邪魔しました。
右の写真の道路が伊那街道。写真奥で蒸気を上げている大きな白い建物が、関谷醸造さんの本社蔵です。
関谷醸造さんは元治元年(1864年)の創業。新撰組による有名な池田家事件や、蛤御門(禁門)の変が起こった年ですから、幕末の世上不穏な頃です。
こちらの蔵は、機械化による先進的な酒造りを実現していることでも有名です。しかし、それは酒造りのオートメーション化やコストカットという事ではなく、機械ができることと、人間がやるべきことを明確に分けているということです。
例えば精米にしても、全量自社精米です。最新の大型精米機が4台も24時間フル稼動!精米のコストをカットするだけなら、もっと安上がりな方法はあります。
でも、それだと大切な原料米の品質管理が十分にできない。だから全量自社精米にこだわっているのだそうです。
左上の写真は、精米を始めたばかりの山田錦の玄米。左は精白途中の山田錦。ここまで削るのに40時間以上掛かります。さらにもう20時間削るそうです。
それぐらい時間を掛け、少しずつ少しずつ削らないと、米粒の温度が高くなったり、割れちゃったりします。
ちなみに、半透明の米粒の中に白い部分がうっすらと見えます。この白い部分を心白(しんぱく)といいます。麹菌の菌糸が米の中心まで伸びるのに必須の部分です。米の中心部まで菌糸が伸びた状態を“はぜ”といいます。麹米を良い“はぜ”の状態にするのが、美味い日本酒を造るための重要な条件です。
山田錦が「酒米の王」と呼ばれる理由のひとつに、この心白のほどの良さが挙げられます。心白が大きすぎると、精米時に米が割れやすい。心白が小さいと“はぜ”にくい。山田錦の心白はちょうど良い大きさで安定しているってことです。
話が逸れましたが、コストカットのための機械化ではなく、品質管理のための機械化。人の手や、官能的な感覚が必要な工程に人員を集中投入するための機械化なのです。
上の写真は、精米を終えた酒米を洗って(洗米)、適度に水分を吸わせた(浸漬)米を蒸しているところです。甑(こしき)という大きな蒸し器、蒸篭みたいなものです。
写真の甑は1.5トンの米を一気に蒸し上げることができます。これまでに30社近い酒蔵を見学していますが、こんなに大きな甑は初めて見ました! この甑にもすごいギミックがあるのですが、それはある雑誌に書く予定ですので、いずれかの機会に紹介します。
右上の写真は、醪(もろみ)タンクの部屋です。通常の酒蔵だと、タンクがずらーっと並んでいるお馴染みの部屋です。関谷醸造さんの醪蔵(部屋)は、すべて床下に埋め込まれた密閉式タンク。しかもサーマル式。つまり、タンクを冷やす仕組みが組み込まれています。全部で16のタンクのフタが並んでいます。
右は蔵人による、櫂入れ(かいいれ)作業の様子です。櫂入れ作業は見た目よりもずっとキツイ作業です。特に初期段階の櫂入れは重労働です。このタンクには、櫂入れを補助するフィンもついています。何よりも、このタンクは安全です。
何かの拍子に誤って醪のタンクに落ちて溺死…。なんて事故は昔から実際に起きています。このタンクでしたら、そうした事故も未然に防ぐことができます。
蔵人の後ろに並んでいるのは、仕込み水を凍らせる製氷機。
左の写真は留添(とめぞえ。三段仕込の三段目)の済んだ醪タンク内。この後、3〜4週間、温度管理などを行いながら醪を育て、完成となります。この醪を絞ると日本酒になります。
たくさんの氷が浮いていますが、これは醪の温度上昇を防ぐためです。濁りのない香り高い酒を造るには、低温でゆっくり発酵が進むようにしなければなりません。
関谷醸造さんの設備のほんの一部を紹介しましたが、これらの真の目的は、「品質の再現性を確保する」ということです。この考え方は、焼津の磯自慢酒造さんも同じですが、期待される品質を安定的に再現するための仕組み・設備なのです。
未来の地酒酒蔵のひとつの方向性を示す酒蔵。蓬莱泉の特に「空」は、手に入りにくい銘柄ですが、ぜひぜひお試しいただきたいお酒です。
関谷醸造株式会社 本社・本社蔵
住所:愛知県北設楽郡設楽町田口字町浦22番地
電話:0536-62-0505
ホームページ http://www.houraisen.co.jp/index.php
新城市には織田・徳川連合軍と武田騎馬隊が激突したことで知られる、長篠の戦いの古戦場があります。
長篠の戦いは、馬防柵と鉄砲の三段撃ちで織田・徳川連合軍の完勝。武田家滅亡の契機ともなった戦い。もっとも、三段撃ちが本当に行われたかは疑問というか、諸説があるらしい。
「新城市設楽原歴史資料館」に行きましたが、なかなかよかったですよ。お薦めです。
紅葉で有名な鳳来寺の表参道にも行きました。上の写真は、参道の入口の様子です。紅葉前、平日ということもあり閑散としていますが、なかなかよい風情。
右の写真は、参道の中ほどにあるお食事&お土産処で注文した「とろろ定食(1600円)」。ちゃんとした自然薯でしたよ。ちなみに、広い駐車場はここにしかありませんので、行かれる方はご注意ください。
引き続き参道の様子です。とにかく静かなところで、散策にはもってこいです。お天気もよく、気温も暑いくらいでした。紅葉の始まっている木もちらほら。
腹ごなしをかねて、鳳来寺へと登る1425段の石段の登り口まで散歩することに。
そうそう、新城市は初めての土地だったのですが、いたるところで「浜松」とか「引佐」といった記述のある道路標識を見かけます。
まあ、境を接しているわけですから、こうした道路案内があるのも当たり前と思うのですが、なんか他県に来ているって気が、イマイチしませんでした ^^;
この道の先にも「秋葉道」につながる山道の登り口もあったりして、昔から遠州と三河は往来が盛んだったのだな〜と思いました。
鳳来寺山は硯(すずり)の原料となる石の産地で、古くから「鳳来寺硯」は有名であったそうです。
今もこの表参道に2軒、硯工房がありました。作硯の様子も通りから見られるようでした。
左の写真は、硯を扱うお店屋さんです。2〜3軒ほどのお店があったように思います。
が、私、書は本当に不調法で、正直よく見ていませんでした ^^;
これが、鳳来寺の境内に続く、1425段の階段の登り口です。
何組かの方が登っていかれましたが、時間の都合もあり、私は遠慮させていただきました。
まあ、登る自信がないってのが本当のとこですけど・・・^^
それでは、次の目的地、湯谷温泉に向います。
鳳来寺山の麓にある、湯谷温泉です。鳳来寺の参道から車で15分〜20分くらいでしょうか。
こちらも紅葉の時期は見事な景観だろうなぁ〜
川の真ん中の白い滝は、昔、山から切り出した材木を下流に流すために、岩を削って作った人口の滝だそうです。
とりあえず、今回はここまで。
波瀬杜氏の突然の訃報に、驚きと哀しみ、寂寥たる思いを禁じ得ません。お体の具合がよくないとはお聞きしていましたが、これほど急なことになろうとは思いもしませんでした。また、30年以上も杜氏を務められた、土井酒造場の皆様の落胆もいかばかりかと存じます。
波瀬杜氏には、何度かお目にかかっていますが、その朴訥で謙虚な人柄に大変感銘を受けておりました。また、酒造りの最中の厳しい表情と、畑などでお会いする時の優しい表情は別人のようで、それが故に酒造りにかける想いの強さ、厳しさを鮮やかに感じることができました。
この写真は、昨年、2008年12月に土井酒造場の麹室で撮影させていただいた波瀬杜氏です。わずか半年前のことと考えると、寂莫たる思いです。
心から哀悼の意を捧げるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。
芝川町は、いつ来ても水のある風景が美しい。
ここはまだ富士宮市かもしれません。川は「芝川」という名前です。夏の暑い頃にこの風景を見ると、川に飛び込みたくなります。
田植えが済んだばかりの田んぼ。私は自然そのものの風景より、人の営みと自然が調和しているような風景の方が好きです。
この写真を撮っている最中に、大粒の雨が急に降り出しました。水面を打つ、雨の水紋を撮りたかったのですが、傘を持っていなかったため断念しました。ちょっと残念です。
芝川町には、カメラに収めたくなる風景がいたるところにあります。ただ、道が狭いため、車を道端に止めて撮影…という事ができないのが難点です(笑)
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