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秋らしくはないけど、さすが行楽の秋、お土産を沢山いただいた。
先日、岐阜県中津川市の本家すやの「栗きんとん」をいただいた。
相変わらず美味い。あのしっとりした口どけ、本当に上品です。

栗きんとんに続いて、箱根土産の「月のうさぎ」をいただいた。
栗が続きます。栗、大好きです。左の茶オビは「月の黒うさぎ」です。



すやの栗きんとんは、砂糖と炊いた栗をこしたものですが、
月のうさぎはまるまる栗が一粒入っています。



上の写真は「月の黒うさぎ」。
こちらの栗は渋皮煮で、皮は焦がし麦の風味です。美味しい。



立て続けに甘いものをいただいてホクホクしていたら、
今度は、金沢土産の「うすかわまんじゅう」をいただいた。

こちらは日持ちがしそうなので、もう少し後でいただきます^^




| 雑感 | 23:58 | C(2) | T(0) |
ヤマメの白焼きをいただきました。今夜は燗酒で。
20センチほどのヤマメの白焼きをいただきました。貴重な品です。
白焼きはワタを抜いて、遠火で焦がさぬようにじっくりと焼かなければなりませんので、
とても手間も根気もいります。魚体のパーマークが鮮やかな方がオスです。



昔、淡水魚の白焼きは、山奥の里では冬に備えた保存食でもありました。
甘露煮にしたりしますよね。

白焼きにして間もないものでしたら、軽くあぶってそのまま食べるのもお薦め。
じっくり火を通してありますので、20センチくらいのサイズなら骨も柔らかく、
頭からパクリといけます。塩でも醤油でもお好みで。

そんな訳ですから、今夜は熱燗ですな ^^




| 雑感 | 09:53 | C(0) | T(0) |
悪化する中国との関係を聞くにつけ思う事(3)
これまで書いて来た通り、私は古代中国の文化、歴史に尊崇の念を抱いていますし、現代の中国人に対しても特別な悪い感情は抱いていません。しかし、毎日伝えられる日本に対する攻撃的なニュースやメッセージを見るにつけ、「うーん、困ったなぁ」と感じます。それらの反日行為のほとんどは、なんか見え透いた嘘を平気でつくとか、誰がやったかすぐ分かる意地悪をする・・・っていうレベルの話です。

今回のAPECも基本的に「笑顔と恫喝」でした。これって、個人同士ならあんまりにも見え透いていて、つい笑ってしまうような話ですが、国家レベルでやったり、言ったりしている。それは本当に大丈夫な事なのでしょうか?笑顔を向けられた国も、その笑顔の裏を考えざるを得ません。また、どんな政治体制であっても、仮想敵を設定したポピュリズムって諸刃の剣だと思うのです。まあ、そんな心配は大きなお世話ですね。

少なくとも日中両国はまだ戦争状態ではない訳です。そうした状況の中で、特定の国を国際会議の場で悪しざまに言うのは、普通に考えてあまりにも余裕がないように見えます。握手に来ないでくれとかね。私は外交に不案内ですが、ポーカーフェイスなロシアと比べると、随分薄っぺらな感じがしてしまいます。なんというか、それって小さな国の戦術です。中国のような大人(ダーレン)の概念を持つ国としてはどうなのでしょう?




| 雑感 | 22:08 | C(0) | T(0) |
鷹匠から見えた月。今夜の満月はかなり真ん丸らしいですね。
今夜の満月は例年よりも丸いらしいですね。

満月具合に違いがあるとは知りませんでした。



そんな訳で会社の屋上から撮ってみました。

コレです ↓



空気も澄んでいて、佳い観月日和でしたね^^




| 雑感 | 00:01 | C(0) | T(0) |
悪化する中国との関係を聞くにつけ思う事(2)
私が吉川英治版の『三国志』や『水滸伝』など、中国を題材とした作品を読み始めたのは中学2年の頃。以来、井上靖、陳舜臣、宮城谷昌光、塚本愡法∪田次郎らの作品や、『史記』『十八史略』といった史書、『論語』『孟子』『荀子』『韓非子』など諸子百家、『陶淵明』『李白』『杜甫』『王維』『白居易』『唐詩選』といった漢詩の本も本棚に並んでいます。そう、私の好きな「中国」は、時代的にはかなり限定的です。例外的に浅田次郎の『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』は読みましたが、魯迅でさえ、『阿Q正伝』ほか1〜2編しか読んでいないというありさまです。有り体に言って、中国の現代史をほとんど知りませんし、余り興味もありません。

ただ、前編(1)の終わりに触れた、勝海舟の言葉はとても印象に残っています。勝海舟は子母澤寛の作品を読んでいましたし、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でもお馴染みです。維新後は徳川慶喜と共に静岡に来て、鷹匠に住んでいた時期もあったそうです。『竜馬がゆく』の読了後、その余韻に引きずられるように、アーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』と、勝海舟の『氷川清話』を購入しました。『氷川清話』の内容については、「松岡正剛の千夜千冊」の『0338夜 勝海舟・氷川清話』をぜひご覧ください。海舟は中国と戦争をしても益がないと説きますが、その懸念した通りとなります。こうした勝海舟のお話も、私の中国観に影響を与えているのは間違いありません。しかしまあ、勝海舟と云う人はなんとも不思議な人だ。

また、私が小さな頃から見聞きしていた、中国人(正確には台湾人)の油断のならない部分や、見え透いた嘘をつく、誰がやったかすぐ分かる意地悪を平気でするといったお話。また、親族間の結びつきが強烈過ぎて怖さを感じる、あるいは、日本では包丁を突き付けて「金を出せ」というが、中国では先ず包丁で切り付けてから「金を出せ」と言う。同様に、裏通りに入ってしまったら、曲がり角は必ず大回りしなさい、用心しないと死角から切られるなど等、もう30年ほど昔の話ですので、あまり上等な内容でなくて恐縮です。とは言え、大半は面白おかしい雰囲気の中での会話でしたので、「だから中国人はキライ・・・」なんて風に思ったことはありません。強いて言えば、人の気持ちをあまり忖度しないとか、割と気難しい人が多いといった印象は持っていました。言い換えれば、自分の考えをハッキリ言う、プライドが高いとも言えると思います。

前編(1)のコメントの中にも書いたのですが、私の親類は台湾の料理人を雇って商売をしていましたし、台湾・香港で日本料理屋を経営していたので、小さな頃から台湾人の料理人やその家族が周りにおりました。やはり日本人に比べるとクセの強い人が多く、そのギャップに腹を立てたりする時もありました。でも仲良くなると、正月のごちそうが並ぶ自宅の夕食に招いてもらったり、台湾に遊びに行ったときは、もの凄く親切に案内してもらったりと、悪い印象より良い印象の方が強いのです。ただ、台湾人と大陸の中国人は違うというお話も良く聞きます。私の経験は台湾人の印象ですので、大陸の人たちのことは知りません。ですが、大陸に対しても正直それほど悪い印象を持っておりませんでした。




| 雑感 | 22:47 | C(0) | T(0) |
悪化する中国との関係を聞くにつけ思う事(1)
1840年に起こったアヘン戦争以後、近代化に失敗した清国の領土を狙い、列強(イギリス、ロシア、フランス、ドイツ)が先を競って大陸へと進出しました。アヘン戦争での清国の敗戦は、当時の日本、江戸幕府にとっても大きな衝撃となり、明治維新への流れはここから始まりました。明治維新後、急速に西洋化を推し進めた明治政府は、朝鮮半島での清国との反目が先鋭化、急速に日中開戦へと傾斜していきます。そして、日清戦争に日本が勝利して以降は、列強と日本による中国大陸の分割に拍車がかかっていきまし た・・・。

私はこの時代の歴史をまだ十分に勉強できていません。また、日本、中国、列強それぞれに、様々な思惑や事情があったはず。だからどの国が悪かったという事を、単純に言いたい訳ではありません。ただ、子供の頃に「なぜ中国を攻めたの?」と疑問を感じたのは憶えています。古代日本の様子は、中国の歴史書でしか知ることが出来ません。漢字をはじめ様々な文明や文化は大陸からやって来ました。そんな事は小学生でも知っています。日本と中国は仲良し国だと思っていたので、なぜ急に戦争になったのか違和感があったのだと思います。

日本にとって歴代の中国王朝は、最も身近な外国であり、師であり、恐るべき大国でもありました。日本は長く「畏敬」と「畏怖」の両方を中国に感じていたはずです。日本から朝貢していた時期、していない時期はありますが、元寇の頃を除き、歴代王朝はさほどの対価を求める事もなく(倭寇の取り締まりを命じられたり・・・くらいかな?)、日本にずっと文化や文明を伝え続けてくれました。例えば身近なものでは「うどん」の製法だって、製粉技術とともに鎌倉時代に日本へと伝わり ました。

また、余り知られていませんが、遣唐使などの留学生の滞在費などは、全て歴代の中国王朝側が負担します。そして、日本からの貢物に関しても、倍以上のお土産を持たされての帰国が通例でした。こうした中華王朝と周辺の朝貢国の関係を冊封といいます。漢書によれば、周(紀元前1046年頃〜紀元前256年)の時代から倭と呼ばれる土地や族は認識されていたようです。1000年以上にも亘って、日本に文明や文化を伝えてくれた中国に戦争を仕掛けた・・・。その行為に対し、私は負い目というか、忸怩たる思いを感じて しまいます。

勿論、「当時のアジアの情勢は、そんな甘っちょろいことを言っている場合じゃなかった!」という意見も分かります。「次に列強にやられるのは日本だ!」という危機感も切実だったでしょう。また、「もともと日本は形式的、便宜的に朝貢していた節があり、冊封体制にがっちりと組みこまれていた訳ではない。」という事も承知しています。確かに日本は古来より大国の支配下に付くという事を非常に嫌いました。それは武家政権だけで なく、聖徳太子以来の方針(?)だったのかもしれません。

そうした事も承知の上で、何と言いますか、心情として忍びないという思いは拭いきれません。何故なら、理由はどうあれ「仁」や「義」ではなかったと思うからです。明治政府はせめて数度だけでも清国を助ける助言・助力を、真摯に表裏なく試みるべきではなかったか・・・と思ってしまうのです。

まあ、そんな私のセンチメンタルなお話とは別に、福沢諭吉、森鴎外、内村鑑三といった当時の文化人たちがこぞって日清戦争を支持する中、ひとり中国と戦ってはいけない、東洋のことは東洋でやるに限ると言った人物がいます。勝海舟という人です。そんなお話はいずれまた。




| 雑感 | 16:02 | C(2) | T(0) |
図書室にマンガって、やっぱり違和感がある。そう感じるのは私だけ??
先日、某書店に行ったら、「はだしのゲン」が売れ筋1位になっていてビックリしました。この作品に関して賛否はありますが、『日本は表現の自由が保障された成熟した国』という事でいいのでは。ただ、小中学校の図書館にマンガを並べるってことに、どうしても違和感があります。それなら、手塚治虫の「ブッダ」「火の鳥」も置こうよ。いやいや、井上先生の「スラムダンク」でしょっ!となってしまう。



なんか、『図書館にマンガを置く』って、子供におもねっているみたいで、すごく嫌なのです。本来はもっと本を読むように工夫すべきではないでしょうか。どんなマンガを置くかって事よりも、図書室にマンガを置くようになった経緯の方が気になっちゃうな、私としては。私は人一倍マンガを読みますが、マンガと本(活字)では得る物や効果が違うって思っています。



私は文章を書くことを仕事の一部にしていますが、活字をアウトプットした分、自分の中に新しい活字(情報)をインプットしないと、頭の中のストックがどんどん減っていってしまい、空っぽになっていくようで恐怖を感じます。この、アウトプットした情報分を、マンガを読んで補充しようとしても何故かダメなのです。その理由はなんなのか、きちんと考えたことはありません。



マンガで得た情報では、アウトプットした分の補充にはならない。これは私だけの感覚かもしれませんが、どうしてもマンガからの情報では物足りない。ここで紹介しているマンガの多くは、ここ一カ月くらいの間に購入したものですが、これだけ読んでも足りない。ちなみに、同期間に購入した書籍(小説)はハードカバーが5〜6冊、文庫本が2〜4冊です。この内、読了した小説は半分に満たないのですが、私はマンガも活字も大好きなのです。ただ、これ以上は睡眠時間を削れません。



両者の違いを考えて見ると、活字から得る情報を処理する方が、明らかに脳の力を使います。マンガの場合は、本来自分が処理すべき情報を、漫画家が処理(演出を含めた描写など)した上で提供してくれています。その分、遅滞なくストーリーを理解できますし、共感といった情緒的刺戟は高くなります。でも、整理・分析・構成・格納といった脳への刺激は、活字に比べかなり低いと思います。



情緒的刺戟と言えば、劇場版『あの花』の上映が始まると、オープニングの段階で、すでに涙をこらえきれない人が多いらしい。そう考えると、アニメの情緒刺戟はマンガの比ではないでしょう。映画と同じく中毒性が高く、そして、登場人物の感情の動きなどは映画より分かりやすいから感情が移入しやすい。海外でも評価が高いのも分かります。だって、共感してくれている訳ですからね。



感情に訴える効果はマンガの方が断然上ですが、脳を刺激して情報を取得する満足度は、本(活字)の方が間違いなく上でしょう。その所為もあって、私は本(活字)からでないと、情報を補充したって気分になれないのかもしれません。

そう考えた場合、図書室にマンガを置く意味って何でしょう? 図書室の役割って何なのでしょうか。特定の事柄だけ、「マンガ」を利用して子供たちの感情に訴えてもいいって事? それとも、本を読ませることが難しいからマンガ? なんか安易ですし、本末転倒ですねぇ。やっぱ、図書室にマンガを置くのは変だ!と私は思います。



さてさて、最近のマンガは草食系男子の作品が多い。青年誌のマンガでもそうなのです。そんな中で注目したいのが、草食系やもう恋ができない立場の男にとっての夢ともいえる作品。ここには紹介していませんが、「海月と私 ( 麻生みこと)」とか、今回紹介している作品の中では、「甘々と稲妻(雨隠ギド)」なんて最たるものです。1巻の紹介文がこちら。

連載初回から驚くほどの超人気!
愛娘&女子高生と囲む、両手に花の食卓ドラマ!!
妻を亡くし、単身子育てに奮闘する高校教師・犬塚。
ひょんなことから教え子・小鳥と一緒にごはんを作って
娘と3人で食べることに!
おいしいトライアングルホームドラマ、開幕です!!

楽しそうでしょ〜。一切エロはなしです。まだ1巻目ではありますが、今後もエロはないでしょう。切なさはあると思います。こんな事って、ありっこないですが、だからこそ男の草食な夢なわけです。



今、一番待ち遠しいのが、「零崎双識の人間試験(原作:西尾維新 漫画:シオミヤイルカ)」の5巻、最終巻になるそうですが、発売予定はいつ頃だろう。

そうそう、今月末には「三月のライオン」の9巻も出ますから、楽しみですね〜 ^^



| 雑感 | 10:21 | C(2) | T(0) |
おっ、メーテレ「ウドちゃんの旅してゴメン」のオープニング曲って!


昨日、なにげなく『ウドちゃんの旅してゴメン』を見ていたら、

どこかで聞いたような曲、というか、ボーカルの声。

今まで気づかなっかたのですが懐かしい声とハーモニー。

ちょっと考えてすぐ分かりました。スーパートランプですね!

スーパートランプの『It's Raining Again』。

懐かしいなぁ。でも、、、随分とマイナーな選曲だなぁ〜 (*´∀`*)

と思いつつ、打ち合わせをしながら番組を見ていたら、

次はボズ・スキャッグスの『heart of mine』が。懐かしいなぁ。

この番組のディレクターさんは、私と同年代なんでしょうね。



それはそうと、旅してゴメン、

2ヵ月遅れの放送って、ちょっと遅すぎじゃないですか ^^;


※『ウドちゃんの旅してゴメン』のホームページに、「番組で使われたBGM」というページがあって、私の見た回の情報を見たら、ボズ・スキャッグスの「Heart of mine」ではなくって、ボビー・コールドウェルって書いてありました。という事は・・・セルフカバー版だったみたいです。訂正します。すみません。でも、番組内で使った曲をリストしてくれるなんて、すごく親切ですね。

| 雑感 | 16:27 | C(0) | T(0) |
空気が乾燥しているせいか、淡いピンクの夕焼けでした。

最近、夕方5時頃でも明るみが残っていて、少しずつ陽が伸びてきましたね。

先日、東名の下り線を走っていたら、淡いピンク色の夕焼けがとても綺麗でしたので、由比のパーキングエリアに車を止め写真を撮りました。

写真、クリックで拡大です。



海岸線に敷設されたテトラポッドが興醒めではありますが、この時は、その暗さが空の明るさと対比になって良い感じと思いました。

この時間帯にカメラの明るさを空に合わせると、その分、地面が暗くなってしまいます。まさに、「かわたれ時(彼は誰)」「たそがれ時(誰そ彼)」であり、別名「逢魔時(おうまがとき)」とはよく言ったものです。やはり昔の人は学問も風情もあります。

実際この頃は、現代でも交通事故が発生しやすい時間帯だそうです。早め早めのヘッドライト点灯が正解ですね。



この写真は、同じ場所から沼津市方向にカメラを向けたもので、画面右に見える起伏は伊豆半島です。硬いものと柔らかなものの対比が面白い・・・と思いました。



この日は、雲の様子がとても良かったのです。



この写真も雲が主役です。

広がる雲が、昼と夜の世界の境界というか、夜の帷(とばり)のように見えました。


以上、最近のお気に入り写真でした ^^


空気がひどく乾燥しております。風邪など召しませぬようご自愛を。
また、インフルエンザの噂もチラホラ。ご注意を。


| 雑感 | 12:53 | C(2) | T(0) |
栗のお菓子のいただきものが続きました。秋なのですね〜
有名な小布施堂の「栗鹿の子羊羹」を旅行のお土産にいただきました ^^

小布施、懐かしいなぁ〜。といっても、一度しかいった事ないけどね。

小布施堂は栗系が有名ですけど、落雁も上品な甘さで見逃せませんよね。

食べたことないのですが、小布施堂のパンフにのっていた、「栗アイスクリーム」がすごく美味しそう!

えーと、6個パックで3500円か、、、

うーむ、高いな・・・

これが、栗鹿の子羊羹です。食べやすいサイズです。

鼻に抜ける栗の香りがなんともいい。うーん、甘さも控えめだしね、ふふふ、美味しい。




こちらは、岐阜の緑屋老舗(みどりやろうほ)さんの栗きんとん。

静岡の人は、栗きんとんといえば、「サツマイモをくちなしの実で煮て、裏ごしして、そこに栗の甘露煮のシロップを入れて練って・・・」みたいなものをイメージすると思います。

緑屋さんというか、岐阜の栗きんとんはそうじゃなくて、下のようなお菓子が「栗きんとん」です。
栗を裏ごしして、和三盆や砂糖を加えて固めたものですね。

これがね、なんていうんだろう、まじりっ気のない栗そのものを食べているような美味しさ。



でも、京都の人にとっては、これは栗きんとんじゃないですよね。「栗の茶巾しぼり」かな?
京都で「きんとん」って言ったら、上生菓子ですものね。

地方地方で呼び名が違うって面白いなぁ。

なので、「秘密のケンミンSHOW」、ついつい見ちゃうのです ^^;

| 雑感 | 12:16 | C(4) | T(0) |
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